こなびすのピクニック

書評、体験談、考えの発信など  -No matter what the weather, we are together-

【感想】石田衣良『美丘』-人生は火のついた導火線である-

こんにちは。こなびすです。

 

梅雨に入り雨天の日も多いし、気温も高くなってきて、マスクしてるのも苦しくなってきましたよね。

 

今日は石田衣良さんの小説「美丘」の感想です。

 

この作品はよくある「恋人が不治の病系」の恋愛小説です。

設定としては珍しくないですが、物凄く感動できるし、主人公達が大学生で若く、エネルギーにも溢れていて、若いっていいなぁと思わせてもくれます。

(若い頃に戻りたい・・・。)

 

愛と命の物語です。 

 

 

f:id:conabis:20200627154912j:plain

 内容(「BOOK」データベースより)

美丘、きみは流れ星のように自分を削り輝き続けた…平凡な大学生活を送っていた太一の前に突然現れた問題児。大学の準ミスとつきあっていた太一は、強烈な個性と奔放な行動力をもつ美丘に急速に魅かれていく。だが障害を乗り越え結ばれたとき、太一は衝撃の事実を告げられる。彼女は治療法も特効薬もない病に冒されていたのだ。魂を燃やし尽くす気高い恋人たちを描いた涙のラブ・ストーリー

 

感想

 主人公の太一とその恋愛の相手の美丘は大学生です。

 

美丘は、幼少期の手術の影響で、現代医学の力では治療できない、クロイツフェルト・ヤコブ病を発症する可能性がある状態で太一と出会います。

 

この病が発症すると、脳がスポンジ状になることにより、記憶や思考のみならず、徐々に運動機能も失うことになるという悪魔のような病です。

 

認知症のように記憶が曖昧になり、言葉も忘れていくため、会話もできなくなり、周囲の人はもちろん、自分を自分とも認識できなると共に、肉体的な機能も失っていきます。

 

時間が経つにつれ、歩行に支障が出、腕も動かせなくなり、首から下が動かせなくなり、顔も動かせず、動かせるのは瞼のみの状態になり、最後は肺や心臓すら動くことを忘れてしまう。

即ち、心肺機能すら奪われて死に至ります。

 

発症すれば万に一つも助からない。酷過ぎる病気です。

 

美丘はそんな難病発症の可能性と隣り合わせで大学生まで生活してきたわけです。

 

 

「人生は火のついた導火線」であると言い、周囲の大学生が漫然と過ごしている中、彼女は常に死が身近にあることを認識しているが故に、「今を生きる」を地でいってます。

 

自由奔放に生き、エネルギーに満ち溢れていて、何をするにも全力です。

遊ぶことだけでなく、勉強もしっかりしています。そして、恋愛も。

 

彼女の生き方を見ていると(読んでいると)、だらだらと過ごしている自分の愚かさが一層際立つ気がします。

一生懸命生きないとなぁと思わされます。

 

物語の後半、その病が発症してしまい、ラストは非常に切なくなります。

 

主人公の太一は彼女のことを心の底から愛しており、最期の時まで寄り添います。

 

残された時間が刻一刻と少なくなっていくだけでなく、彼女が彼女で無くなっていく、

日常当たり前にできていたことが出来なくなっていく様子がリアルに描写されています。

 

そして、発症してから残りの貴重な時間を大切に大切に過ごす太一と美丘。

 

彼女の病のことを知らされた時にも真正面から受け入れ、一緒に笑い、一緒に泣き、彼女が言葉を忘れても、太一のことがわからなくなっても傍に居続ける、太一と美丘の愛の深さに泣けます。

 

命の限り愛するとはこういうことなんだろうなと感じました。

 

 

最後に印象的だった言葉を載せておきます。

 

周囲のみんなが知らなくて、美丘が知っているという前置きがあり、美丘は以下の言葉を発します。 

 

「時間は永遠にはない。わたしたちはみんな火のついた導火線のように生きてる。こんな普通の一日だって、全部借り物だよ。借りた時間は誰かがいつかまとめて取り立てにやってくるんだ。」

 

命とは愛とは何かを考えさせられる名作です。